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2009年07月01日:『橘菓祖:橘本神社』

お菓子を祀った神社があるそうですね。
その神社は、何処にあるのですか?。
この神社の起源を教えて下さい。

4月は「菓子祭り」、10月は「みかん祭り」が有るそうですね。
全国から「祈願のお菓子」が送られて来るそうです。
当日は沢山のお菓子の山で、私などお菓子好きは大興奮です。
       ― 写真:橘本神社の鳥居 ―
(橘本神社)
(橘菓祖) 【橘菓祖 橘本神社】
和歌山県海草郡下津町橘本125番地
(JR紀勢線加茂郷駅より3.5km 車で10分程度)
創立年代は不明であるが、白河法皇・熊野行幸の折、
御社で通夜(神社や仏堂にこもって終夜祈願する事)なさり
「橘の本に一夜のかりねして入佐の山の月を見るかな」と
詠まれた史実があり、当神社の具体的な記述が見られる。    - 写真左:橘菓祖 橘本神社 -
田道間守(たぢまもり)神】
「記紀」によれば、第11代垂仁天皇(スイニンテンノウ)は農業の
発展と殖産の開発に尽くされ、田道間守公に命じって不老長寿の霊菓をお求めになった。
常世国(中国)に渡り、十余年の辛苦のすえ「(たちばな)」を持ち
帰るが、天皇はすでに崩御されていた。
 田道間守は日本神話に登場する人物で、橘・菓子の神。
 公は新羅国天日槍(あまのひほこ)の子孫であり、橘の他に広く先進国の
 文化を持ち帰ったものと推測される。
   - 写真右:田道間守神 -
(田道間守神)
【第11代垂仁天皇の時代】     2015年06月01日加筆
初代神武天皇の 即位紀元は、西暦に換算して紀元前660年とされている。
第11代垂仁天皇の在位が紀元278年から紀元298年までの20年間と考えられる説、
また『古事記・日本書紀』に伝えられる第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日:紀元前29年~垂仁天皇99年7月14日:紀元後70年)の説もある様です。
日本書紀が神代(カミヨ)の時代(紀元前660年)以前から41代持統天皇(645~703)の時代迄を扱う歴史書で、年表に多少の誤差を考慮する必要があります。

(橘の原木) 【橘の木】
田道間守の持ち帰った橘を日本で最初に移植されたのが、
当神社近く(旧社地)の「六本樹之丘」と言うところです。
橘の木は代々境内に植えられており、毎年冬には「みかん」
より小さな実がつき、香が良い柑橘です。
   - 写真左:橘の原木 -
【田道間守公遺蹟六本樹之丘】
大正5年3月田道間守公の遺功を称え建立する。
公が持ち帰った「橘」は、その後改良に改良を加えられ、
今や優秀なみかんとして広く各地に栽植されました。

   - 写真右:六本樹之丘 -
(六本木の丘)
【菓子祭】
4月 3日  : 菓子祭 ・ 全国銘菓 奉献祭
10月10日 : 例大祭 ・ みかん祭
「書記」には「橘は菓子の長上にして人の好むところなり」とある。
すなわち、上代の書にいう「菓子」とは後世の「水菓子」、つまり果物の事であった。
平安時代になると、今流の菓子の製造方法が考えだされ、果汁などを用いるように
なったらしい。
「栄花物語」には、「さまざまのくだものを皆物の形に造りなどして」と書かれ、
伊勢貞丈(さだたけ)の「貞丈雑記(ていじょうざっき)」にも、菓子の事が種々記されている。
菓子の製法が、生活の向上と共に発達し精巧を極めるに至った事は言うまでもない。
砂糖の製法や利用方法が進歩し、菓子の種類が多様化した現在でも、製菓に果汁を
必要とするものが多く、歴史的に見て実に興味深い。
このように、「菓子」なる語は「果物」に由来する。

【関連項目】  
’08年05月01日 「みかん」の歴史Ⅰ  ’15年06月01日 「みかん」の歴史Ⅱ・他

資料 橘菓祖・ホームページ:橘本神社・橘本神社パンフレットを参照    
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