株式会社山久
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2011年06月11日:『穀物についてⅡ(いんげん豆他)』

今年は早くも入梅しました。
沖縄地方では平年より9日早く、関東甲信越では12日早くなりました。
関東・東北地区では、震災の影響で節電をしなくてはなりません。
せめて「じめじめした梅雨」が早く終わるといいですね。

さて、今回は先月に続き「穀物:いんげん豆」を特集します。

今日のおやつは、冷やした「あんみつ」にしましょう。
【いんげん豆】
「いんげん豆」には、饅頭・上生菓子などの製餡の原料に使用される手亡が在ります。
また、甘納豆・鹿の子・煮豆などの原料として金時豆福白うずら豆虎豆大福豆
白花豆紫花豆などが使われてます。

原産地は中南米で、メキシコでは7,000年前・ペルーでは8,000年前にいんげん豆を利用していた形跡があるそうです。
16世紀初頭、コロンブスの新大陸発見によってヨーロッパに伝わり、豆を乾燥させて料理として煮豆に使われていました。
昔の西部劇映画で、カウボーイ達が荒野でパンとコーヒーそして煮た豆を食べた映像を
ご存知の方も多いと思います。 この豆が「いんげん豆」なのです。
我が国への伝来は17世紀の中頃、中国から隠元禅師によってもたらされ、禅師の名に因んで「隠元豆」と呼ばれる様になったと伝えられています。

(手亡) 【手 亡】
手亡は白色の美しい豆で、大福豆などと共に白いんげんとも呼ばれます。
開拓が始まった明治時代にアメリカ産の種子が輸入され、
北海道十勝地方で栽培され、大正時代には各地で栽培され、かつては輸出作物として急速に生産量を伸ばしました。

  - 写真左: 北海道産手亡 -
残念なことに、現在は生産量も減少し国産の不足分をカナダ・アメリカ・中国などから
白色系のいんげん豆として輸入されています。
主に、バタービーン・ベビーライマー・グレートノーザンなどです。
手亡(てぼう)」の名前の由来は、他のいんげん豆は」(つる)がのびたら支柱にする「手竹」が必要ですが、 手亡は半蔓性で、この支柱が必要でなかったことから「手竹のいらない豆」すなわち「手亡豆」になったようです。

【金時豆】
いんげん豆の代表的な種類です。
金時豆は北海道で栽培されている豆のうち約6割を占めています。
圧倒的な生産量を誇る「大正金時」という品種は、昭和初期に北海道十勝地方の幕別村で見つけられ、大正村(現在は帯広市内)で量産されたことからその名が付きました。

【虎 豆】
大福豆・紅花いげん豆と共に高級菜豆と呼ばれて
います。 (虎豆の画像:下段右側)
白地を基本としながら、へその周囲に濃黄褐色と
淡黄褐色の斑紋(柄)が入っているのが特徴で、
模様の入り具合が虎に似ていることから虎豆と
称されます。
明治時代にアメリカのマサチューセッツ州から
導入されて栽培が始まりました。

  - 写真右: 各種いんげん豆 -
(いんげん豆)
  上段左側より:大福豆 紫花豆 下段左側より:手亡豆 金時豆 虎豆

【大福豆】
種皮だけでなく、へその部分までが真っ白な腎臓形の美しい豆です。
食味が良く、白色という特徴を活かして甘納豆・煮豆・和菓子などの原料及び家庭用として使われます。 とりわけ甘納豆の需要が多く、全体の4割位を占めます。
わが国では北海道胆振地方・北見地方を中心に生産されています。

【うずらまめ】
「うずらまめ」の名は種皮の模様が(うずら)の卵に似ていることに由来します。
褐色の地に赤紫色の斑紋を持ち、円筒形をしています。
我が国での本格的な栽培は、北海道の開拓が始まった明治時代からです。
アメリカ産の種子が輸入され、北海道大学の全身・札幌農学校で栽培が始まりました。
「うずらまめ」は煮豆や甘納豆の原料として用いられています。

【関連項目】
 ’06年02月01日 「小豆」と「ささげ」 ’06年03月16日 「つぶ餡」と「こし餡」
 ’06年09月16日 「小豆の歴史」    ’06年10月01日 小豆の「こし餡と小倉餡」
 ’06年10月16日 「白小豆」の白餡   ’06年11月01日 「白餡と黄味餡」
 ’07年03月16日 お彼岸と「おはぎ」  ’10年10月10日 「小豆の地名」
 ’11年05月11日 穀物:「小豆編」    ’12年04月01日 「羊かんの歴史」
  
※次回も「穀物について」パートⅢをお送りします。

資料:全国和菓子協会(財)日本豆類基金協会東海農政局(農林水産省)

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